第02回:高句麗ゆかりの地は、どこにあるの?


予習してさらにハマる太王四神記

【第二回】

高句麗ゆかりの地は、どこにあるの?






今、高句麗が熱い!



高句麗は中国東北部と北朝鮮が中心地だったため、遺跡の多くは中国と北朝鮮にあります。


ここ数年、中国が高句麗を自国の歴史と解釈し、自国の文化遺産としてユネスコに登録したため韓国との文化摩擦が起きています。その中でも問題になっているのは、中国吉林省集安県にある「広開土大王碑」です。この碑石は『太王四神記』でヨン様が演じる広開土(グァンゲト)大王がどれほど領土を広げ、素晴らしい王様だったのかを記録して残すため、息子であったジャンス王が建てられました。


韓国に残っている高句麗ゆかりの地は北朝鮮と地理的に近いソウル、京畿道北部、百済に進撃し領土を広げた時の名残として南漢江が流れる忠清道にあります。高句麗は700年以上続いた国家ですが、紀元前から7世紀にかけての古代遺跡のため、残念ながら現在まで残っているものは城壁、古墳の壁画、碑石、仏像などで数もあまり多くありません。でもドラマをきっかけに韓国では高句麗ブームが巻き起こっているため、自治体ごとに高句麗祭りや博物館、ロケ地開発に力を入れています。





峨嵯山(アチャサン)



峨嵯山はソウルウォーカーヒルホテル裏にある山頂まで300mちょっとの山です。高句麗と新羅が漢江を間に熾烈な戦争を繰り広げた山城があるところです。2004年遺物が大量に発掘されたのをきっかけに高句麗ゆかりの地として訪問者が増えています。この山城で発掘された遺跡の中には、韓国固有の暖房設備であるオンドルに使われた平たい石もありました。兵士が寝泊りした部屋はオンドルになっていて、台所で火を焚けばその熱気が床の下に作ってある通路に伝わり熱が蓄熱され、ゆっくり放熱しながら湿気をなくし部屋中が温かくなる設備です。


登山路がきれいに整備され木の階段を登っていけばソウルが一望できる山頂に到着できるため、ソウルでちょっと山登りでも、というときにぴったりの場所です。



アクセス


地下鉄5号線峨嵯山駅下車、峨嵯山公園から山城へ行く登山路があります。





丹陽 オンダル山城



バボオンダルとピョンガン姫の物語で有名な6世紀の名将オンダル将軍が590年新羅との戦で戦士したところで、南漢江を見下ろす山頂にハートの形をした城壁が残っています。高句麗が築いた山城を新羅が占領し、これを取り戻すための戦争でした。


オンダル将軍が戦士した場所についてはソウルの峨嵯山(アチャサン)という主張もあり、両方とも高句麗ゆかりの地として開発されています。


山城の近くには4億5千万年太古の神秘がそのまま残っているオンダル洞窟と高句麗展示館もあります。


毎年10月にはオンダル文化祝祭(オンダルカルチャーフェスティバル)が開催され、オンダル将軍・ピョンガン姫コンテスト、オンダル将軍鎮魂祭、高句麗武芸再現、弓大会、伝統婚礼、高句麗料理試食会などのイベントが開催されます。この地域は秋の紅葉がとてもきれいなことでも有名なので、ぜひ訪れてみたいですね。


オンダル山城と洞窟、展示館などはオンダル国民観光地内にあります。高句麗後期を背景にしたSBSドラマ「淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)」の野外セットもここにあります。高句麗のお城や街並みなどが再現されてますが、「太王四神記」とはまた違う雰囲気です。



入場料 大人3000W、青少年2000 W、子ども1000 W


アクセス


東ソウルバスターミナル グインサ行きバス 1日12回運行





  • 中原高句麗碑(ジュンウォンゴグリョビ)





















中原高句麗碑(ジュンウォンゴグリョビ)



忠清北道忠州市可金面南漢江沿いにあり、韓国に残された唯一の高句麗碑石で国宝第205号に指定されました。広開土大王の子である長寿王が忠清道まで領土を広げたことを記念し、この土地が高句麗のものであることを表示する碑です。この碑には新羅との領土争いで仲直りしたという内容が書かれてます。近くには民俗工芸村、統一新羅時代の遺跡で国宝第6号の塔坪里七層石塔もあります。中央塔とも呼ばれ、周辺には中央塔彫刻公園や忠州博物館、お酒博物館もあります。忠州市には忠州湖、水安堡温泉などの観光地もあり、ソウルから2~3時間ほどで行ける水の観光地として有名です。また忠州はUN(国連)バン・ギムン事務総長の故郷としても親しまれています。



彫刻公園入場料


博物館は無料


アクセス


東ソウルバスターミナルまたは江南高速バスターミナルから忠州行きバス


忠州ターミナルから中央塔まで市内バスまたはタクシー利用


忠州ターミナルはロッテマートが目印です。





チェジュ 猫山峰観光地区



みなさんもすでにご存知の「太王四神記」の第1野外セットが建てられたところです。韓国でもここまで繊細に作られた野外セットは初めてであると、マスコミに絶賛されました。第2野外セットは北チェジュのソンブルオルム一帯にあります。


チェジュは韓国の数々の映画、ドラマが撮影されたところで、島全体が観光地です。


最近は韓国でも新婚旅行は海外が当たり前ですが、70~80年代の新婚旅行のメッカはチェジュでした。今でも新郎が軍人で海外に行ってはならない、忙しくて新婚旅行に行けないカップルはチェジュのリゾートを訪れます。「中文(チュンムン)リゾート」にはドラマ『オールイン』で印象的だったロッテホテル、新羅ホテル、ハイアットホテルがあります。


猫山峰観光地区には11月完成を目標にゴルフ場、宿泊施設の工事が続いてます。パークBOFチェジュもオープンしたことですし、『太王四神記」』とヨン様、といえばチェジュ! で決まりですね。



アクセス


チェジュではレンタカーもしくはタクシー貸切観光が便利


「太王四神記」野外セットはタクシー以外アクセスできる交通便がありません。いたるところに案内看板があるので、レンタカーでも迷うことなく探せます。





国立中央博物館考古館、3階美術館



高句麗の仏像と瓦、銅で作られた靴、古墳、壁画など中国にある遺跡のレプリカが展示されています。


国立中央博物館の紹介ページ





日本で見つけた高句麗の名残、高麗神社



埼玉県日高市は韓国でも有名な高句麗ゆかりの地であります。高句麗の王族が666年1799人の人を連れて日本へ渡り、稲農作を始めたところで、国が滅亡した668年、日本に残り「高麗」という苗字を使います。日高市にある高麗神社は高句麗の王様を祭る神社で王族59代目の宮司がいらっしゃいます。高麗神社では高句麗の歴史を継ぐ神社として、毎年10月在日本大韓民国民団の「マダン祭り」が開催されてます。


ホームページの説明によると「特に浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから「出世明神」と崇められるようにもなりました」とのこと。「出世明神」とは、強力なリーダーシップとオープンマインドで尊敬された高句麗の王様のご利益らしいですね。


アクセス


JR八高線・川越線「高麗川駅」から徒歩20分


   – BY  趙章恩

Original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php?id=02

第01回:太王四神記の背景となっている高句麗っていつの時代?


予習してさらにハマる太王四神記

【第一回】

太王四神記の背景となっている高句麗っていつの時代?






古代朝鮮三国のひとつ“高句麗(コグリョ)”



高句麗は紀元前37年から668年まで実在した国です。強力な軍事力による中央集権体制で近隣の諸部族と戦いながら勢力を拡大し、現在の韓国忠清道の北から中国の北東地域までを支配しました。高句麗がこの世にあった頃、日本は弥生時代~古墳時代でした。


「三国史記」の記録によると、高句麗を建てたのは「朱蒙(チュモン)」。大きな卵の中から生まれたという神話を持つ人物です。朱蒙の誕生神話を簡単にご紹介してみましょう。河の神の娘である柳花(ユファ)はある日妹達と川辺へ遊びに行き、天帝の子である解慕漱(ヘモス)と出会い結ばれます。親の許可なく婚姻したことに怒り、河の神は柳花を太白山(テベクサン)の南に送り、ここで柳花は東扶余(ドンブヨ)、の金蛙王(グムワワン)と出会います。柳花の様子をおかしく思った金蛙王は柳花を部屋に閉じ込めますが、太陽の光を浴びて身篭り卵を産みます。この卵を金蛙王が捨てたところ、鳥や動物がやってきては卵を守り、ここから朱蒙が生まれます。










































































年表
BC70万年 旧石器時代
BC2333年 檀君、古朝鮮建国
BC1000年 青銅器時代
BC400年 鉄器時代
BC108年 古朝鮮滅亡
BC57年 新羅建国
BC37年 高句麗建国
BC18年 百済建国
42年 伽耶建国
372年 高句麗、仏教を受け入れる
384年 百済仏教を受け入れる
391年 広開土大王即位
413年 広開土大王死亡
527年 新羅法興王仏教公認
532年 新羅が伽耶滅亡
660年 百済滅亡
668年 高句麗滅亡
676年 統一新羅時代
918年 高麗建国
935年 新羅滅亡
1392年 高麗滅亡、朝鮮建国
1396年 漢陽(ハンヤン、今のソウル)に都を定める
1443年 世宗大王(セジョンデワン)訓民正音(ハングル)創製


【註1】太白山(テベクサン):ソウルより北側にある江原道から慶尚北道にまたがっている韓国を代表する山。


【註2】東扶余(ドンブヨ):59年~294年、北朝鮮の豆滿江(ドゥマンガン)流域にあった国で、ヨン様が演じる広開土大王(グァンゲトデワン)によって滅びました。


【註3】金蛙王(グムワワン):大きな石の下で金色に光る蛙のような赤ちゃんが見つかり王様となったという伝説があり、このような名前になりました。





高句麗の始祖とされる王“朱蒙(チュモン)”



朱蒙は子供の頃から非常に弓が上手く、「弓の名手」という意味を持つこの名前がつけられました。これに嫉妬した金蛙の息子たちは朱蒙を殺そうとし、朱蒙は母の助言で脱出し卒本(ジョルボン、現在は中国吉林省にある綏芬河の南西地域)に至り、ここで高句麗を建てたといいいます。これは高句麗の建国神話でもあり、朱蒙は初代王様、東明聖王(ドンミョンソンワン)になりました。


長い間高句麗の首都だった卒本に建てられた国内城。その城壁は今でも中国吉林省に残っていますが、城壁の中にアパートが建ち並び遺跡が守られていないのが残念です。高句麗後期の首都は北朝鮮の平壤(ピョンヤン)で、平壤城は北朝鮮文化財1号に指定されてます。


高句麗が最も領土を拡張し全盛期を迎えたのは、『太王四神記』の中心になる4~5世紀です。『太王四神記』の主人公である広開土大王(グァンゲトデワン)が領土を広げ富強で住みやすい国を作り、息子である長寿(ジャンス)王が太平の時代を築きました。この時期日本では大和王権が形成され始めました。


当時の韓半島は大きく高句麗、新羅、百済の三国に分かれた「三国時代」を向かえ、最も領土が大きく力があったのは高句麗でしたが、三国を統一したのは中国の唐と連合した新羅でした。668年高句麗は滅亡し、王族や貴族を中心に多くの高句麗人が日本へ亡命したため、高句麗の文化は日本へ大きな影響を与えたとみられています。その後韓半島は統一新羅時代を経て高句麗の精神を継承する高麗時代が始まり、朝鮮時代、日本の植民地支配と独立を経て今の大韓民国となりました。















韓国の基礎となった三国時代、古代日本との交流も



三国時代は原始的な部族国家から始まった高句麗、新羅、百済の三国が政治制度や農耕生活を確立し、古代国家へと成長した時期で、仏教が伝来した時期でもあります。大陸の文化を固有の文化へ再創造しながら、現在の韓国の基本となった時代ともいえます。この三国の文化がまた古代日本へ伝わって飛鳥文化が生まれ、日本固有の伝統文化へと発展していったのでしょう。三国の中でも韓半島南地方にあった百済と古代日本の交流が最も活発でしたが、高句麗も日本の歴史に残る文化を伝播しています。高句麗の僧侶「慧慈」は聖徳太子の師であり、「曇徴」は紙、墨、硯、絵具をつくる技術を教えたと記録に残っています。法隆寺の金堂壁画も彼の作品として知られています。高句麗古墳の壁画にある自分の衣装や描き方は高松古墳の壁画の壁画とも良く似ていて、高句麗の影響を受けたものとみられています。またキトラ古墳の石室天井に描かれていた星宿(星座)は北朝鮮の平壤(ピョンヤン)を含む北緯38~39度から見上げた星空を描いたものであることが98年明らかになりました。高句麗滅亡後日本へ亡命した天文学者が描いたか、高句麗のものがお手本となったのではないかとみられています。


長い暦を経て、高句麗の領土は現在その多くが中国になりました。そのため高句麗の歴史を中国は中国に住んでいた部族の歴史と解釈し、城壁や広開土大王碑を中国の文化遺産としてユネスコに登録したことから、韓中歴史問題になっています。『太王四神記』には韓国の歴史を見つめ直し、歴代王の中で最もたくましく潔かった高句麗の広開土大王の精神を忘れてはならないという気持ちが込められています。


高句麗の初代王様「朱蒙」を主人公に高句麗の建国神話の物語を興味津々に描いたドラマもあります。2006年から2007年にかけてMBCで放映され31週連続視聴率1位を記録し国民ドラマになった大河ドラマ『朱蒙(チュモン)』です。4月からBSフジで放映が決まりました。これも『太王四神記』を理解するのに参考になるでしょう。SBSで放映された『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』は高句麗末期が背景で、KBSの『大祚榮(デジョヨン)」』は高句麗滅亡とその後が背景です。『太王四神記』は高句麗歴史の最盛期を描くので、戦争シーンばかりだった他の高句麗ドラマとは違って、色々なエピソードやファンタジーが盛り込まれた大作であると韓国でも大変期待されています。(第一回:終了)


韓国の歴史については「韓国を知ろう:歴史と時代」でも解説しています。


                                                                                                                                             –  趙章恩

original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php?id=01