「世界初」はもういらない――韓国イ・ミョンバク政権の新IT戦略

韓国知識経済部は2008年7月10日、イ・ミョンバク新政権のIT産業政策である「New-IT戦略」を発表した。その目標は「ITの拡散による産業構造の先進化と社会問題解決」で、3大戦略分野として「全産業と融合するIT産業」「経済社会問題を解決するIT産業」「高度化するIT産業」が選定された。2012年まで韓国IT産業では「融合」がキーワードになる。

■ITの恩恵をすべての産業に


 知識経済部は「新しい時代精神に立脚して3つの戦略分野を導出した。IT産業そのものだけでなく、全産業と経済社会の当面の課題を解決する方向でIT政策を変化させる必要がある」としている。この戦略をとりまとめた知識経済部は2008年の再編により情報通信部と産業資源部が一つになった省庁で、日本で言えば総務省のIT政策部門と経済産業省が一つになったようなところだ(通信と放送に関しては通信放送委員会が別途設立された)。24日には新戦略の具体的な実行計画として「ITイノベーション2012」も発表した。









国会開会式で演説する韓国の李明博大統領=11日、ソウル〔共同〕


 新政権は、ノ・ムヒョン大統領時代の「IT839戦略」に対して「政府の関与が大きすぎる」と批判的だった。Wibro(モバイルWiMAX)やDMB(モバイルデジタル放送)といった「世界初」を目指した技術開発は進んだものの企業や市場の需要を反映しておらず、名ばかりの政策も多かったという主張である。それだけに、今回の新戦略で何がどれだけ変わるかが注目を集めていた。


 イ・ミョンバク大統領の在任期間にあたる2008年から2012年まで実施される新しい戦略は、今まで何度も新政権が強調してきたように市場主義、自由競争が基本となる。政府と公共機関は需要がまだ少ない最新分野に投資し、需要を拡大させる役割を担うという。

 知識経済部の資料を見ると、2007年の韓国IT産業の輸出動向は、携帯電話端末、半導体、ディスプレーの3品目だけで全体の約77%を占めている。IT業界は中小企業の占める割合が約99%と高いのに対し、生産に占める割合は約29%、輸出は約13%に過ぎない。しかも携帯電話やディスプレーは海外から部品の多くを輸入しており、IT輸出が増加すればその分だけ輸入や海外へのロイヤルティー支出も増える。


 韓国はサムスン電子、LG電子など一部企業がグローバル化を果たし、インターネットの利用率も高い。しかし、今の産業構造を変えていき、全産業のIT化により経済全体を活性化させていかなければ、「IT強国」とはいえなくなるという危機感は多くの人に共通している。New-IT戦略は何よりも企業と市場の活性化が重要であるとして、大手企業はもちろん、中小企業が希望をもってビジネスに取り組めるような戦略作りに苦心した様子が伺える。

■RFIDやグリーンITに集中投資


 New-IT戦略によると、政府は2012年までの5年間に3兆5000億ウォンを投資する。一方、民間企業の投資額は110兆ウォンを見込み、民間主導で財政支出を抑制する方針だ。


 数値目標では、2012年までに国内生産1兆ウォン以上のIT融合産業分野を10以上創出し、製造業の成長率を2%以上引き上げる。また2012年にはIT産業輸出品目の多様化で輸出金額2000億ドルを達成し、売上高500億ウォン以上の企業を2007年の607社から2012年には1000社に増やす。そのほか、グローバルソフトウエア企業を10社育成し、専門教育を受けた2万人のNew-IT人材を養成することなどが挙げられている。







 「全産業と融合するIT産業」の具体的な計画としては、製品のIT化、プロセスのIT化、サービス業のIT化、組み込みソフトウエア開発を推進する。造船・自動車・機械・繊維・医療機器といった韓国を代表する5つの既存産業でITの融合に取り組み、2012年には融合技術を12分野に拡大させる。


 中でもRFIDには力を入れる方針だ。自動車や繊維(衣類)、流通産業にRFIDやユビキタス・センサー・ネットワーク(USN)を導入したテスト事業を立ち上げるなど、RFID普及だけで2008年に60億ウォンを投資する。既存産業のIT融合を促進するための「産業IT融合センター」も2012年までに10カ所に設立する。


 「経済社会問題を解決するIT産業」では、グリーンIT実現のためIT製品の省エネ効率を2012年までに20%向上するという目標を掲げる。このための関連技術開発に5年間で2000億ウォンを投資し、LED(発光ダイオード)産業の世界シェア3位を目指すという。郵便局や公共機関が率先してLED照明などを導入し、民間の需要も掘り起こせるように500億ウォン規模のLED共同ファンドも組成する。

 さらに高齢化に伴う医療問題解決のためユビキタスヘルスケアにも力を入れる。ユビキタス病院を3カ所程度設けるという計画があるほか、デジタル・レントゲン・ディテクター(Digital X-ray detector)といった先端医療機器開発に5年間で2500億ウォンを投資し、これを支援するためのセンター設立に1071億ウォンを充てる。医療機器のIT融合化では世界シェア5位が目標だ。


 「高度化するIT産業」としては、半導体やディスプレー産業育成、ネットワーク・無線通信、IT部品とソフトウエア産業の育成が含まれる。戦略分野としては電子情報デバイス、情報通信メディア、次世代通信ネットワーク、ロボット、ソフトウエアコンピューティング、知識サービス、USN、産業技術融合、バイオ医療機器が選定された。


 半導体やディスプレー、携帯電話端末などに使われるIT部品やコア技術の国産化のためには2008年だけで3204億ウォンが使われる。内訳は半導体が1081億ウォンでもっとも多く、IT部品802億ウォン、ネットワーク(次世代ネットワーク)540億ウォン、移動通信524億ウォン、ディスプレー320億ウォンとなっている。ディスプレー産業基盤センター協議会の設立、携帯電話端末の産業成長のためのモバイルテストフィールド拡大など、中核的なIT産業の基盤をより確固たるものにする。知能型ホームネットワーク産業発展戦略と知識情報セキュリティー産業発展戦略も2008年末までに立案し、このための予算として81億ウォンを補助する。

■人材育ててベンチャーに投入









サムスンの携帯「Anycall」の看板=ソウル〔AP Photo〕


 New-IT戦略では企業の需要を反映した人材養成も重要な課題となっている。


 人材養成については、大卒クラスの人材が余剰となる一方、博士クラスの高い教育を受けた高度人材が不足しているという課題がある。このため、「融合・複合」に対応して新市場を切り開くプロジェクトリーダーになりうる人材養成のため、2012年までに2800億ウォンを投資して2万人を養成する。


 韓国では失業率が上昇し求職難となっている。しかし、中小ベンチャー企業からは「我々には有望な人材が回ってこず、依然として求人難」と、長期的な人材養成を要求する声が絶えなかった。そのため、2009年にはまず全国5カ所で企業、大学、研究所が共同参加する「IT融複合人材養成センター」を設立運営する計画だ。

 政府の支援を受けた人材と政府の研究機関の研究員には中小企業やベンチャー企業での勤務を義務付けるという制度も検討されている。生涯のキャリアを管理してもらえる「高級IT人材全生涯キャリアパス管理体制」が導入され、海外に離れていく人材を呼び戻す戦略も立てている。


 さらに、世界で初めてIT教育認証制度「ソウル・アコード」を2009年に始める。技術者教育の分野では国際的な同等性を相互承認するための国際協議体としてワシントン・アコード(Washington Accord)がある。しかしワシントン・アコードではIT分野の教育特性を十分反映できないため、韓国主導でIT教育国際認証の枠組みであるソウル・アコードを推進するということだ。


 法制も変更する。現在はいくつもの法律に分かれている情報通信関連法を一つにまとめ、IT製造業とサービス業が並行発展できる制度的基盤作りとして「情報通信産業振興法(仮称)」を2008年12月には国会に提出する計画だ。


 このほか、New-IT戦略には国内の知的財産権管理を強化して海外企業との特許紛争に対応できるよう専門性を高めること、IT研究開発基金として大手通信企業が売上高の0.1%ほどを政府に拠出していた制度を5年後に廃止し料金競争を高めること、大韓貿易投資振興公社(KOTRA)と韓国情報通信国際協力振興院(KIICA)に分かれていた韓国企業の海外進出支援組織を一本化し窓口を大韓貿易投資振興公社に絞るといったことも盛り込まれている。

■「世界初」より実質的な支援に転換


 政府関係者らはNew-IT戦略について、IT839戦略をはじめとする過去のIT戦略といかに異なるかをしきりに強調している。ただ、重点事業としている8大課題も、IT839時代に選定された産業資源部の7大戦略技術と情報通信部の14大IT革新技術をまとめて8つにしただけといえないこともない。既存産業とITの融合や部品の国産化も前々から課題とされてきたことだ。


 変化があるとすれば、やはり情報通信部と産業資源部に分かれていたIT産業政策が、2008年からすべて知識経済部の担当となり、省庁間の縄張り争いがなくなりスムーズにことが運ぶようになったという面だろうか。これにより企業も楽になった。







 今までのIT戦略はサービス、ネットワーク、機器といったIT産業そのものの発展に焦点が当てられていた。それに対し、New-IT戦略はIT利活用による社会問題の解決や、産業全般の高度化など範囲が広く、「ITそのものの戦略というより国家発展戦略に近い」と政府は説明している。しかし、いまのところ大きな差は感じられない。ソフトウエアやSIといった業界からは「融合ばかり強調してIT産業自体の成長支援策については触れていない」という批判の声もあがっている。


 ただ、これまでのスローガンであった「世界初で何かをする」という目標は一転して影を潜めた。世界初という記録を求めて政府が旗を振るよりは、企業の意見を優先し、企業が望む人材を養成したり、ファンドや協議会を設立したりすることで間接的に企業を支援する。省庁間の無用なアピール合戦の必要がなくなったため、実質的な成果を追求しやすくなったという側面もあるだろう。こうした政策の転換はこれからの産業発展に影響を与えるはずだ。


 経済大統領として期待されたイ・ミョンバク大統領が就任し、真っ先に政府組織再編が行われた。小さな政府、ビジネスがしやすい最小限の規制が新政権のキャッチフレーズでもある。IT産業に関しても省庁再編により業務の改廃や公務員リストラが噂されたりし、落ち着かない雰囲気が続いていた。

 New-IT戦略の発表で、IT産業全体がようやく今年度の仕事を始められるようになったといわれている。それは結局、韓国はまだ企業が政府の支援に頼りすぎているということの裏返しだろう。新政権の狙い通り、民間主導の経済が実現するにはもう少し時間がかかりそうだ。

– 趙 章恩  

NIKKEI NET  
インターネット:連載・コラム  
2008年7月30日